こんばんは(*^-^*)
私は動物ちゃん達のお話しや気持ちが分かるんだよーってことを以前のお話しの中でお伝えしました。
違う畑ではあれども、命ある植物達もまた、気持ちはちゃんとあるものです。
家には観葉植物が沢山あって、お部屋の気を良くしたい以前に、沈黙の中の生命を感じる…静の命という感じが好きで、沢山の観葉植物をお迎えしています。
家にある観葉植物達も、そろそろ水くれてもい~んじゃね?
という感情が伝わってきます…あ、土乾いてたわ、ごめんごめん…
あちこちの神社にご参拝していると、ご神木さながら、立派な木々にお会いする機会も沢山あります。
私が初めて木と会話?感情の交流?をしたのは、長野県にある諏訪大社さんに参拝した時です。
諏訪大社の儀式に、御頭祭という有名なものがあるんですね。
私は実際、その御頭祭というものは見たことはないのですが、鹿の頭を神様に捧げるというもののようです。
私は感覚人間なんで、前情報は一切入れずに神社参拝をするので、初めて諏訪大社さんに参拝した時、鹿の頭を木に下げる儀式があることを知ったんです。
未だに何の為に鹿の頭を捧げるのかもわからないんですが(調べろよな)
鹿の頭を捧げるための立派な大きな木ですよ、と紹介されている大木がありました。
その木を眺めながら、ずっと昔から神社の儀式を支えていた木なんだなぁ…と思っていたところ。
「私はこの事は(鹿の頭を下げる事)望んではいない…」という感情が伝わってきました。
理由があっての儀式である反面、同じ生命体としては、やはり殺生になるんだな…と感じた瞬間でした。
そして、ひょんな事から予定外で参拝することになった赤坂氷川神社さん。
普段は写真を取らせて頂く許可を得て、必ず写メに鳥居を収めるのですが。
赤坂氷川神社の鳥居のだいぶ前に立った瞬間、良い意味で良い白い霧みたいなのが二手に別れてブゥワァ~と来たのでウワァ~となって写真に収められなかったのが残念。
そんな絶好調にパワーのある赤坂氷川神社の中にある銀杏の木。
戦災をなんとか逃れ、立派に大きな銀杏の木なのですが。
裏は半分、削ぎ落とされてしまい空洞になっています。
色んな人間の社会情勢に揉まれ、それでも立派にそびえ立つ銀杏の木に「頑張ったね、えらかったね、痛かったよね…」という思いでお話ししました。
そしたらね、そしたらよ…
その立派な、でも体の半分は削がれてしまっているのによ。
「なんのこれしき。大したことではない。」
嗚呼…なんて気高く、心持ちの強い木なんだろう。
立派に立派に、しっかりと大地に根を張り生きておられました。
私のお稲荷さんは、日枝神社さんの中にある山王稲荷神社さんなので、またお稲荷さんにご挨拶に行く時は、赤坂氷川神社さんにも参拝しようと思いました。
あの銀杏の木にまた会いたいですし、何よりもブゥワァ~と、ウワァ~となって鳥居のお写真、撮れなかったのでお断りしつつ写真に撮らせていただいてニマニマしたい。
私のご依頼者さんの中に、お家の敷地内に昔からある金木犀の木を、区画整理だかなんかの際に、業者さんに切られてしまってから、家系の女性だけがご不幸になると言う方がいます。
霊視すると、やはり切られた金木犀の木は怒っていました。
ただ、何故女性だけに災いがあるのか、災いを与えるのか、頑なに教えてはくれませんでした。
会話をするツールを持ち合わせていないだけで、木にも花にも感情があります。
メンタル面や波動が低下している時、木々の立ち込める神社や公園に行けない人もいます。
生命に触れる事が辛いとさえ言います。
元気がない時、人の多い所に行くと疲れますよね?
それは人から出ている、様々な気に当たってしまうから疲れるんです。
植物も生命がありますから、弱っているときは当たってしまうんでしょうね。
植物や花、動物からは、絶対的に嫌な悪い気は出てないです。
そんな良い気が心地よくなく強いと感じてしまうのは、やはり波動が低くなっている証拠だと思います。
どうか皆さん、植物や花や動物達の良い気を、恵みじゃぁ~!と思える元気を持っていてください!